星占い(占星術/ホロスコープ)には親子の相性を映し出す言葉がある

親子の関係:自分育ての時

親子の関係は、子どもの誕生から始まります。

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最近では、妊娠が確認できた時から親子の関係は始まっているという考え方もあります。

確かに、命を授かってからの日々は、「生まれたら…」で始まる思考が、多くの選択に影響を与えています。

生まれる日を楽しみに、長いような短いような、幸せであり不安でもある時間を9か月過ごす中で、いつしかまだ見ぬ子どもに集中していくわけです。

しかし、出産を目前にすると、五体満足であればそれだけで…と願うようになります。

今まで描いていた理想や夢は、一旦どこかに行ってしまう…それだけに、生命の誕生はスケールの大きい、計り知れない仕事であると感じます。

このような思いをしながら、授かった我が子ですから、この子のためになんでもしてあげたい、親としての責任の重さ感じずにはいられない、困惑した気持ちに揺さぶられる…様々な感情の波が押し寄せて来て当然でしょう。

親子の関係

親子の関係というと、養育する立場に立たされたことになったということですが、一緒に育つことが何より大事であるとも言われています。

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これは、親の立場には心強い言葉だと思います。
勇気をもらった気持ちになれるはずです。

ただ、子どもの成長は目に見えて確認できることが多いのですが、親の成長というのは精神的な部分に現れることが多く、自分自身で確認できることが少ないのも事実です。

そのため、子どもができたか、できなかったかを、自分の評価基準にしてしまうことも少なくありません。

子どもとどう向き合うかという課題は、自分自身とどう向き合うかということでもあるということを心に留めておけるとよいですね。

 

親子の関係:すべてが会話

子どもは、言葉の数が少ない分、表情や仕草、行動、感情表現で自己主張します。

何も言わないことでも、子どもは何かを伝えているのです。

とは言え、私たちには分かろうとしているのに分からないことがたくさんあります。

分かろうとすればするほど自分自身を追い詰めてしまっていることもあります。

そして、ついつい向き合うことが苦しい、面倒だと感じてしまうこともあるでしょう。

少し見方を変えることをしてみます。

子どもは自己主張いているのです。
つまり、他者の都合を考慮しているわけではないと考えてみてください。

ある意味、「勝手」…ということです。

しかし、子どもの自己主張は勝手をしたいという理由ではありません。

自分の存在を確認するために行っている行為なのです。

自分はどこの誰で、何が好きで何が嫌いか、何をすると喜ばれて何をすると怒られるのか…自分を知るために他者を知る必要がある…その手始めの方法が、自己主張と言えるでしょう。

ですから、向き合うことは、子どもが自分を知るために必要なのです。

子どもは、私たちが向き合うことで成長していきます。

子どもと会話を楽しめる自分に改善できること…子どもの「この子らしさ」自分の「私らしさ」を大切にしながら、探してみるとよいでしょう。

 

親子の関係:瞳の奥にあるもの

子どもの瞳…「円らな瞳」という表現は、本当にピッタリだと感じます。

うらやましいほどにキラキラと輝いていることがあったかと思うと、ハリのある粒の涙を流すこともあったり、溶けてしまいそうな微睡み(まどろみ)に包まれていることもあります。

角がない…子どもには、そんな瞳であってほしいと願っています。
瞳には、深さがあります。
瞳の奥の力に引き込まれるがあります。

そのことを感じられる能力が、私たち人間には与えられています。

それは、感情動物であると言われる所以でもあるでしょう。

子どもの瞳の奥から放たれるものを見逃したくはない…そんな気持ちにさせられることもあります。

そして、それは瞳の奥に届く光を自分自身も放つことが求められているということでもあるのです。

感情と感情が届きあうところ…瞳の奥はそんなところ。感情の泉と言ってもよいでしょう。

 

親子の関係:独りと一人

保護される立場にある子どもは、自分ではどうすることもできないことがあります。

この世に生まれてからの時間が短ければ短いほど、それは当たり前のことです。

ですから、子どもが一番不安なことは、ひとりになることなのです。

ひとりという漢字には、「独り」と「一人」があります。

この漢字をご覧いただければ、敢えて説明する必要もないくらいその理由はわかると思います。

「独り」は、孤独です。

物質的には満たされているのかもしれませんが、精神的には閉ざされた世界の中で生きている状態と言えるでしょう。

カタチが見える愛情をいくら注いでも、ココロが満たさなければこのような状態になります。

「一人」は、自分自身で確認できる現実として誰もそばにいない状態です。

これも寂しい状態であることは間違いありません。

しかし、精神を支えるものがあれば、孤立感なく生きていくことができるでしょう。

ただし、人はカタチのないものだけでは確信を持ち続けることはできませんから、いずれは弧独へと向かっていくことになるでしょう。

どんな小さな愛情でも、「独り」という意識が芽生えないように注ぎ続けることが必要です。

そのためには、時には感じられる愛情、時にはカタチで見える愛情を伝えること。

そして、私たち大人は、精神的物質的にバランスの取れた支えになれるようにしたいものです。

 

親子の関係:親の特権

「子どもが欲しい」という気持ちになるのは、なぜなのでしょう。子どもは可愛いから…血のつながりを残したいから…一緒に楽しい時間を過ごしたいから…いろいろな理由があると思います。

そして、どの理由も、大概はなんとなくうなづけるものだと思います。

しかし、これらの理由に共通していることは、親の意思や思いであるということでしょう。

つまり、子どもは、親となる側の都合がキッカケとなって、この世に生まれてくるということなのです。

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もちろん、子どもたちは親選んで肉体に入り込むという考え方もあるとは思いますが、現実的なことから考えれば、子どもは親を選べないという方が一般的な考え方であろうと思います。

ですから、親の意向というのは、非常に支配的とも言えるのです。

「この子のために」と親ならば考えます。

しかし、その考え方の根本にあるのは、自分の経験や好みが基本情報となり、組み立てられた持論であることを認識しておく必要性をいつも感じます。

子どもが、何を考え、何を好むのか…自分自身との差異を感じると、ワガママであったり、素直ではない、言うことを聞かない…といった判断にもなってしまいます。

私たちは、子どもを自分の価値観に、はめ込む癖を忘れることができません。

知らず知らずのうちに、子どものためにと言いながら、時には言い聞かせながら、自分の意思を貫こうとしてしまいます。

まさに、親の特権とでもいったところでしょうか?

子どもが欲しいと思った時に描いた夢や希望は、親自身のものであって、子どもの誕生とともに、子どもの願いとすり合わせて調整していかなければならないものなのです。

もし、親の特権があるとしたら、子どもが自分自身の人生をプロデュースしていく上でのコーディネータというポジションに就けるということでしょうか…。

親の特権…誰もが、一度は見直す必要がありそうです。

 

親子の関係:子どものココロ

心というものは、目に見えないだけではなく、音で伝えてくれることもない…それなのに、自分の中では、いつも言葉が聞こえてきます。

これが心の声なのか、脳の声なのかはわかりませんが、確かに自分自身が考えていることや思っていることが、自分の理解できる言語で認識できます。

しかし、見えるわけでもなく、音が聞こえるわけでもなく、言語化され認識できるのは、自分の考えたこと、思ったことだけです。

ということは、他者の考えていることや思ったことは、音や視覚で言語化されなければ、わからないということです。

私たちは、親しい間柄である場合、その人の考えていることや思っていることが、わかるような気がします。

本当にわかっていることもあると思いますが。

日頃の行動パターンや価値観から、予測をしているだけのことなのです。

これは、子どもにとってみても同じことです。

いつも一緒だから、親だから、心の声が伝わってくるということはありません。

そのことを踏まえて接してみれば、子どもに対して、たくさんの質問がしたくなるのではないでしょうか。

子どもの声に耳を傾けようという気持ちになるのではないでしょうか。

子どものココロにも、私たちの知らないことがたくさん詰まっているのです。

もっと、目を輝かせ興味を持ってあげられるといいですね。

 

親子の関係:大好き…

子どもにとって、好き嫌いという認識は、生まれてすぐ、あるいは生まれる前から備わっていると思われます。

思考ではなく、あくまでも感覚として捉えているものではありますが、赤ちゃんが泣いて訴えるというのも、心地よくない、この状態は嫌だという意思表示です。

言葉がしゃべれない幼児も首を振って「いやいや」をします。

ですから、好き嫌いという認識は、自分の感覚が理解する最初の感覚といってもよいものでしょう。

そんなことも手伝って、子どもは「大好き」という表現や言葉が大好きです。

私たち大人が大好きと伝えることによって、子どもは大好きという感情は、伝えるものであるという認識を持ちます。

そして、大好きと返してあげると、大好きと返してくれるもの、返してあげるものという回路が出来上がっていきます。

ところが、大好きなんて、言えるのも言ってくれるのも小さいうちだけ…そう考えてしまいがちです。

もちろん、思春期を迎えようとする子どもは、あからさまに大好きと言ったら、引いてしまうかもしれません。

最近の言葉では「キモい」ということになってしまいそうですから、言葉は、子どもの成長に合わせて選ぶ必要はあります。

大人の世界へ導いていくためにも、豊かな表現をもって気持ちを伝えられる関係になれるといいのでしょう。

子どもたちの成長段階において、この大好きという言葉も成長させていきたいですね。

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