星占い(占星術/ホロスコープ)が、ホロスコープから見つけようとしてくれていること

一人に一つ人生が与えられています。その人生をどう生きるかは、その人自身に託されているわけですが、思うようにいかないことが当然のことのように起こります。

どうして自分ばっかり…と惨憺たる思いに打ちひしがれることもあります。

これが、自分の人生なのかと疑いたくなることもあるでしょう。

そうかと思えば、何事もなくただただ平凡すぎる毎日を送らなければならないという人生もあって、こんなところからも「不平等」という言葉が湧き上がってきてしまう…

人生とは、個の肉体的表現の集大成でもあるわけですが、時折罪深きものと化すものです。

ですから、もし、人生について考える時間を与えられたら、今を明日につなげていくことを、一つずつ考え、解決して、積み重ねていく方法を見つけることにチャレンジしてみるとよいでしょう。

そして、誰かに共感を求めてみることも間違いではないのです。

人生は、いくらでも設計変更が可能であることを覚えておいてください。

私たちは、人生を集大成いていくもの、あるいは集大成させていくものという捉え方をしていることが多く、巨岩に向かうかのように感じてしまうことがあり、そのプレッシャーに押しつぶされていまいそうになります。

ところが、比率が変化するものであると捉えてみれば、また、それが時間の比率であることがわかれば、きっと「積み重ね」というキーワードに辿り着けることもあるでしょう。

そうなのです。

苦しくなると忘れてしまいがちですが、人生は時間の積み重ねから成っているのであって、時間の集合体なのです。

しかし、人生というのは、今日までの部分と、明日からの部分に分けることができて、その比率は少しずつ変化し今日の部分が明日の部分より小さかったのに、ある日逆転して、明日の部分より比率が大きくなっていくのです。

この比率は、私たちの肉体や精神構造に大きな影響を与えます。

自分を取り巻く環境にも変化を与えます。

 

ライフワーク:時間を費やす事

人生の前半は、学ぶ機会がたくさんあります。中盤は、仕事や家庭に力を注ぎます。

自分のやりたいことがなんだったのかさえ忘れてしまうようなこともあるでしょう。

また、長い間、同じことをやり続けるということもあるでしょう。

ライフワークは、人生を通して自分自身がやり通したい、やり遂げたいと思うようなことですが、日々の暮らしに追われ、それどころではないという方たちも多いはずですが、人生が時間の積み重ねならば、その人生で費やす時間の多い事がライフワークであると考えてみましょう。

すると、少し自分にも当てはまることが見つかるのではないでしょうか。

ライフワークは、楽しいことだけではありませんし、すごい事とも限らないのです。実際には実行することができなかったことであっても、自分がそのことを考えた時間や思いを傾けた時間でもよいのです。

それはきっと、人生の中で必要とした事だったのではないか…と自分自身に投げかけてみてください。

ライフワークに、自分の意思が反映されているかどうかを見つめるきっかけになるでしょう。

そして、もしかすると、人生の新しい扉が開かれていくかもしれません。

 

対人関係:創るもので創られるものではない

対人関係は、常について回るものですね。

避けたくても完全に絶つことはできないものです。

人生には、一生を通して関わっていく人もいれば、ほんの一時の関わりしかない人もいます。

気の合う人であれば、一時の関わりでは淋しさを感じますが、関わりたいと思っていないのに縁が切れない人には、悲しみを与えられたり、苦しめられることもあります。

つい、避けるという選択を選んでしまうこともあるのではないでしょうか。

避けることによって、自分を守ることができればよいのですが、かえって問題を大きくしてしまったり、自分自身を追い込んでいく結果になってしまうこともあります。

また、避けたくても避けられない事情がある場合もあれば、知らないうちに取り返しのつかない状態になっていることもあるでしょう。

対人関係といっても、いろいろな関係があります。

学校の友人、先輩、先生、職場の同僚、先輩、上司、取引先、隣人、知人…最近では、インターネット上の関係なども含まれてきています。

年齢とともに交流の幅が広がる社会の仕組みの中で、不特定多数の人たちとの関わりが増えていきます。

そうなると、どこで誰と繋がっているかわからない状況も生まれてきます。

こうなってくると、もう自分の手の届かない部分ができてきて、知らない間に自分の対人関係が他者の力によって創られていくようになります。

ですから、他者が自分に対してどんな感情をもっているのか、どんなふうに評価しているのかを、すべて把握することは困難です。

せめて、日常生活を形成する上で、関わりを持つ必要のある人については、自分の意思のもと関わりを持っていなければなりません。

そのためには、自分にとって負担のない対人関係を整えていきたいものです。

それは、自分の性格や特性を自分自身が理解することも大事ですが、よき理解者と出会えるようにしていくことも必要でしょう。

 

恋愛:星に願いを届けてみる?…それとも…

恋愛には、人を美しくする効果があると言われます。

好きという感情が湧き上がることによって身体の機能が活性化されるからです。

成就してしまうより、恋心を抱いている時が一番楽しいという人もいるくらい、気持ちは変化するのでしょう。

しかし、すべてが上手くいくことばかりではありません。

失恋もあれば、禁じられた恋もあります。

人の心のすることというのは、理屈で考えられることとは違い、わかっていてもどうすることもできないことです。

ストップのかけるものがなければ、愛情は簡単に深いところまで浸透していってしまいます。

私たちは、恋愛する時には前しか見ていないことが多く、戻ってくる方法まで考えてはいないものです。

ですから、自分の感情がコントロールできなくなると、冷静さを欠いてしまい迷子になってしまうのでしょう。

恋愛問題を取り上げる時、大切なことは、まず自分の気持ちを認めることです。

人を大切に思う気持ちを持つことができた自分を褒め称えられるようになることが始まりでなければなりません。

相手があって、自分の思い通りにならないことがあって、自分自身を責めてばかりいては、進むべき道が見えなくなってしまいます。

問題が大きくても小さくても関係ありません。

そして、恋愛の中心にあるものは感情であることを忘れてはならないと考えています。

辛いことや悲しいことから救わなければならないのは、気持ちです。傷ついた気持ちを押さえつけたり、さらに傷つけても、良い結果には結びついていかないのです。

せっかく大切だと思える人にめぐりあったのですから、自分自身が幸せの道を歩いていけるように、気持ちに磨きをかけていきましょう。

 

結婚・離婚:いつでも選択できる自分でいること

結婚は、人生の大きな節目となる決断であることは間違いないでしょう。

女性は、いまでも相手方の姓を名乗る人が大半ですし、同性していたとしても籍を入れるということでは同じです。

男性もまた、世帯主となれば責任を意識するようになるのではないかと思います。

しかし、近年の傾向としては、共働き、家事の分担、育児協力など、役割を分離するのではなく協同すると形が、多く受け入れられるようになり、結婚形態の変化が見られます。

ところが、結婚に伴う問題自体は、変わっているとは言えません。

嫁姑問題、金銭トラブル、相続問題、浮気、不倫、DV…その中身はというと、複雑化、激化し、発生件数も増えています。

これでは、何のために結婚をしたのかわからなくな ってしまいます。

ですから、離婚という選択をせざるを得なくなっていくのでしょうが。

離婚は、結婚の数倍労力を費やすと言われています。

しかも、離婚が成立したから終わりとはいきません。

また、精神的ダメージが残る場合もあります。

結婚を新しい人生の始まりと考えたからと言って、離婚は終着点というわけではありません。

離婚も、新しい人生の始まりに結びつけていかなければならないのです。

どんなことがあっても、乗り越えるチャンスは必ず訪れるのです。

そのチャンスを生かすために、どの道を選択していくか…結婚生活では、それを深く学ばされていると言えるでしょう。

どんな時も、選択できる自分に育てていくことが大切です。

家庭:理想の采配

家庭というと、なぜか急に真面目な捉え方になってしまいます。

何も語ることがない…とは、口が裂けても言えないような状況があります。

それは、世代にかかわらず、今の若い人たちの世代であってもそうは変わらないでしょう。

だからでしょうか…最近は、「同棲」が流行っています。親公認ということも稀ではなくなっています。

いわゆる<お試し>ですね。

そこには、失敗したくないという気持ちが現れているのだと考えます。

昔から結婚は紙切れ一枚と言いますが、されど紙切れ一枚で、これがなかなかの効力を発するわけです。

しかし、この流れには大きな問題がいくつも含んでいます。

まず、同棲と結婚の違いは、公の記録が残るか残らないかです。

物質界に生きる私たちとしては、重大なことです。

それを避けるためには、よい方法と思い選択しているのだと思います。

ただし、精神の部分においては、よいことも悪いことも、絶対に何等かのカタチで残ります。

また、結婚にこだわらないという言葉もよく聞かれるようになりました。

こだわらないという表現よりも、こだわることができなくなった、というのが本当のところではないかとも感じています。

つまり、夢や希望、そして理想というものがあるわけです。

新しい人生ともいうくらいですから、当然のことではあります。

そして、その思い描く絵に近づけたいと願えば願うほど、自分の人生に自問し始めることになり、大きな決断を先送りしたくなるのでしょう。

スタート時点から、大きな理想に夢を乗せてしまうと、理想が家庭を築くようになっていきます。

本来、夫婦二人で、家族で築くものである家庭が理想に牛耳られてしまっては、家族の構成員は、それに従うしかなくなってしまいます。

家庭を築くということは、理想を采配する構成員で確立されることが望ましいということを心に留めて、問題解決の糸口を探していくとよいでしょう。

 

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