保護者会・懇談会は、学校・学年・クラス単位などで行われる、保護者と教員で構成された、子どもたちのいない限られた時間です。

保護者会は、百パーセント学校主催で行われます。懇談会は、学校主催、学校・PTA共催、PTA主催、地域関係者主催など、さまざまな形態で開催されています。

保護者会と懇談会は同時に開催されることも多く、保護者会の中に「懇談の時間」として組み込まれている学校もあります。

多くの保護者から聞こえてくるのは、「もっと有意義な会にしたい」という声です。また、一方で、子どもと接することが本業の教員にとっては、頭の痛い行事でもあるようです。

しかし、保護者と教員とが同じ方向を向いて子どもたちの健全育成に関わるためには、情報を共有すること、互いに理解を深めることが必要である、と双方とも考えてはいるのです。ですから、保護者意を有意義なものとするベースは、すでに用意されていると言ってもよい状況なのです。

であれば、なぜ、有意義なものにすることができないのか。その最大の要因は、教員も保護者も、はっきりとした目的と方向性を持てないままに保護者会を実施し、おのおのの責任を確認できないまま閉会してしまっているからです。この繰り返しが、さらに保護者会に対する意識の希薄さを生んでしまっているのではないでしょうか。また、保護者は、保護者会や懇談会については、学校・教員主体であると考え、受け身になりがちです。

このように、行事の意義付けをする際、学校が支援するものであるか、また教員の参加があるかという判断基準で重要度を決定し、自分の立ち位置を選択している傾向も見られます。

しかし、最近の学校の傾向としては、保護者と一緒にという流れも見られます。その結果として、教員が保護者に依存心を抱いているような発言や行為もあります。また、「モンスター・ペアレンツ」という言葉が生まれ、ドラマ化されたほどですから、教員が保護者を怖がり、気を遣いすぎている姿も見受けられます。

また、教員からリーダーシップが消えてしまっているような気がします。その原因の一端は、私たち保護者にあるのではないかという認識を持っています。もう、教員の質の問題と片づけてしまえる時代ではないのです。

と同時に、「保護者はワガママ」と言って済ませられる問題でもありません。教育改革は、私たち保護者が関わらない限り、改善へと導くことができないというところにまで来ていると感じています。

私たちの思いを声にする機会、それが保護者会や懇談会です。そして、保護者会や懇談会の価値を高められるようにするのが保護者の目指すところです。

保護者会や懇談会の性質としては、子どもの学習科目で言えば、道徳・校外学習・総合学習などに当たるものと考えてみましょう。机の上の勉強だけでなく、体験や人との関わりを通して学ぶ時間です。子どもたちにはこの時間に、生命の大切さや地球環境、社会時事、福祉、災害など、さまざまな現実的課題に取り組ませ、生命の大切さや人への思いやりの心を育てます。そして、集団生活に必要とされることを理解させ、クラス運営を円滑に行える力を学ばせているはずです。私たちも、子どもたちと同様の課題を与えられていると考えるべきです。

現状の保護者会や懇談会の実態は、「どうしたらよいのか……」「協力し合って……」「自分の子どもだけでなく……」「少しずつ力を出し合って……」と言いながらも、何も具体策を決定できないまま終わってしまう。そして、さまざまな思いを抱えて家路に就く―本当にもったいないことです。知恵と経験のある大人が集まって得るものがないということほど、無駄を感じることはありません。まず、こうなってしまう原因を認識し、改善を目指すことを提案します。

 

■無駄の原因

①責任ある立場で参加していない

PTAの役員や委員として活動している場合は、多少の意識を持って学校へ赴くことができると思いますが、そうでなければ、なかなか積極的な姿勢にはなれないものです。学校を訪れる際の動機が受動的あるいは消極的であれば、そこに責任感を持つことは困難です。

しかし、子どもたちと同時に、私たちも一人一役を与えられていたらどうでしょう。教員と保護者一人ひとりの責任を明確にすることが可能になります。保護者会や懇談会は、参加者一人ひとりが責任を果たせる仕組みを作るとよいでしょう。

よく、「同じ立場で」とか「垣根をはずして」と言われますが、目的に向かって、何かを成し遂げたいと願って集まり、そこで役割を果たすことができれば、「垣根」は勝手にはずれるものだと思います。

 

②自分の役割が明確でない

ほとんどの方が、「その他大勢」「指示待ち」の意識が強いのではないのでしょうか。人は、自分のポジションが確認できないと、なかなか動けないものです。そして、私たちは、まだまだ昔の日本人的なプライドを持っていて、出しゃばることを敬遠します。ですから、「仕方ないわね……」「ほんとは、得意じゃないんだけれど…」「申し訳ないけれど、これだけなら……」「せっかくお声をかけていただいたので……」などと、謙遜したり、他者に配慮したり、依存したりといった言葉によって、一歩踏み出すきっかけを作ります。

お互いに謙虚さに配慮し合いながら役割を持つことができれば、必ず、役割を通して責任意識を高められるはずです。つまりは、立場ができれば自分の居場所ができ、居心地の良さを感じられるようになっていくものです。

 

③ミッションプログラムがない

集まった目的が具体的でないと、何をすればよいのかが掴めません。

目指すところがどこであって、そこに向かうためには、どんな障害があり、どのようにすると障害を取り除くことができるのか、関わっているすべての人が、その筋書きを理解できるようにすることが重要です。このプログラムが明確であれば、一人ひとり自分の果たすべきミッションが見えてくるはずです。

 

④自分への宿題がない

保護者会や懇談会に参加し、さまざまな情報を得たとしても、「いいお話だったわね」「前向きな話し合いができてよかったわ」で終わってしまってはいないでしょうか。

会に出席するということは、情報を得て、それでおしまいではありません。得た情報を「私」の持つ関わりの中に置き換えてみるチャンスを与えられたということです。

まったく同じケースというのは、なかなかないでしょうが、類似することはあるはずです。「このような場面で実践してみよう」「今日の話を子どもに話して、子どもの考えも聞いてみよう」というように、今日の情報をどうしたらわが家で活用できるだろうか、と考えるための宿題を持ち帰ることによって、初めて情報は活かされるのです。

 

⑤子どもたちとの距離感あが掴めていない

私たち保護者は、子どもが日々成長していることを、つい忘れてしまいがちです。こちらの言うことを黙って聞いていても、子どもは異論を持ちながらも、大人の言うことに従っている場合もあります。年齢とともに子ども自身の価値観が確立されていくわけですから、こうした行為は健全で、ごく当たり前のことです。

子どもたちは、自分と他者が存在することに気づき、「真似る」行為を身に付けて育っています。では、誰の真似をするか―最初は親であり、生活をともにする人です。それが、行動範囲や情報範囲の拡大によって、多くの人を通じて、多くの事例を観るようになります。そして、その事例を少しずつ試していく。時には、私たちにしてみれば、「この子が……」と思うようなことを行う場合もあります。

ですから、子どもは支配できるものではないということを、心で理解しておかなくてはなりません。その上で、子どもの言動や行動から子どもの成長を実感し、軌道修正を繰り返すことが大切です。

ここで、あえて念を押しておきたいことは、一緒に立ち止って軌道修正することの大切さです。立ち止らなければ、決して子どもの心が見えてくることはありません。心と身体は同じ、とよく言われますが、走りながら言葉を発するのは大変です。

また、立ち止ったとしても、呼吸を整えるには時間が必要です。時間をかけて、呼吸を整えて初めて、聞き取れる言葉を発することができるのです。そして、その時こそ、子どもとの距離を縮めることができるのです。

 

子どもたちの声を掴むことができれば、私たちにできることは考えやすくなるはずです。家庭で果たす役割と、家庭以外に依存して解決しなければならないことの判断もできるようになるでしょう。

私たちは子どもたちの支援者として、子どもたちの心を大切にし、教育環境の具体的な把握や、さまざまな状況に対応する判断力と実行力の形成、自己啓発となる学習の場を確立することを求めていく必要があります。

現代社会では、世界中の情報が簡単に入手できます。さらに、その情報はよりリアルに、受け手の興味を引き出すようなテクニックで、媒体を通じて発信されています。ですから、人の心は、多少の刺激では響かなくなってしまっています。

しあkし、現実的には、媒体を通している以上、どんな情報も刺激も、百パーセント事実ではありません。「百聞は一見にしかず」です。デフォルメされた情報の中から抜け出すためにも、身近な参集の機会を有効なものとし、見つめ直していきたいと思うのです。

そして、だからこそ、保護者も教員も、それぞれの果たす役割を共通認識として保護者会・懇談会に参加し、解決・改善・振り返り、を繰り返しながら、お互いの学習成果を褒め称え、前進していく時間にすべきであると考えるのです。

そのためには、まず、保護者会や懇談会がどのような会であってほしいのかを、一人ひとりが考えるところから始める必要があるのではないでしょうか。