学校には、子どもたちの学習の成果を披露する、イベント性の高い行事があります。私たち保護者にとっては、子どもたちの成長に対する期待が高まる行事です。

入学式や卒業式同様、ここでも、「まず、わが子ありき」の状態にどっぷりと浸かってしまっている親の姿をした保護者に出会うことも少なくありません。

改めて確認しておきたいのですが、学校行事は、学校の教育指導における「集団の成果」を発表するものです。この「集団の成果」を求めるがゆえに、「皆平等」を目指し、ここ十数年、競争を嫌う傾向があり、足並みを揃えたり、出番を満遍なく作ったりと、学校側の苦慮が感じられる場面も見受けられます。本来、個性を生かした集団の形成が健全な状況です。子供たちが一人ではできない集団の成果の素晴らしさを学ぶためにも、私たち保護者が児童の発表行事に対して、参観点を大きく変えなければならない時代です。

 

まず、学校行事には、音楽会・発表会・作品展などのような文化的行事があります。行事の開催には、教員は大変なエネルギーを費やします。行事のねらいを定めるとともに、各学年に相応の課題を選定し、学年の担当教員と専科教員が中心となって実施していきます。そして、授業時間内で完成できるように、計画的に進めていかなければならないのです。

また、先に述べたように、子どもたちの「公平性」に配慮しなければなりません。子どもたちは一人ひとり、得意・不得意もあれば、ペースも異なります。その「足並みを揃える」ための尽力には、頭が下がります。

文化的行事の特色は、見る人、聞く人の主観によって、評価が違ってきます。発表の内容に満足できない保護者もいます。子どもたちの指導に加え、保護者への気遣いも避けて通れない教員の苦労に、私たち保護者は気づくべきでしょう。

一方、子どもたちは、大人を意識して行事に臨んでいます。そこにある思いは、子どもによって異なりますが、褒められたい、いたわってほしい、気にかけてほしい、構ってもらいたい、見てほしくない、聞いてほしくない、来てほしくない……など、さまざまな思いがあります。

私たちは、そうした子どもたちの思いを認識しているでしょうか。子どもの姿を見たいという欲求が優先してしまい、大きすぎる期待を持って参観してはいないでしょうか。そして、他の子ども、他のクラス、他の学年との比較ばかりに気を取られてはいないでしょうか。

子どもが、上手にできていて、集団行動を乱すことなく、ハツラツとしている姿を確認できれば、それはとても嬉しいものですし、期待どおり、あるいはそれ以上のものを感じられるかもしれません。しかし、子どもたちは、私たちを満足させてくれるような場面ばかりを見せてくれるわけではありません。たとえ、期待どおりの場面を見ることができなくても、聞くことができなくても、大切なのは、やはり私たち保護者の対応になってくるのです。

 

学校の文化的行事の代表が音楽会・発表会・作品展などであるならば、スポーツ行事の主役は運動会です。おそらく、運動会のない学校はないでしょう。

学校週5日制の導入により、運動会の練習も授業時間に組み込まれる割合が圧倒的に増えて、やり繰りは大変そうに見えます。特に、学年別表現演技は、限られた時間で完成させなければならないため、力を注ぐ学年教員の苦労は想像以上であると思われます。運動会で演技を披露した直後の教員の表情を見れば、その頑張りの度合いが伝わってきます。これが、本当に素敵な表情であることが多く、教員の人間性を感じられる、貴重な時間です。

そして、何より、子どもたちの表情が輝いて見えます。表現演技には、集団の中で自己の表現力と総合力が映し出される、仲間との共有と連携であったことが伝わってきます。

また、競技種目で子どもたちは、自己の能力を競い合って勝敗をつけ、敵味方の闘志を経験することができます。まさに、スポーツが享受してくれる強さと思いやりの教えが、ここにはあります。個人差はありますが、多くの子どもたちは、やり遂げたという充実感溢れる顔つきを見せてくれます。子どもによって感情の表し方はいろいろで、あまり表面には出さない子もいます。しかし、子どもの日頃を知っている保護者であれば、保護者にしか分からない心を見せてくれているはずです。

運動会は身体を使う一日と思いがちですが、じつは、勝敗や心の表現によって非常に感情の豊かな一日を、子どもたちは過ごしているのです。私たちの心にもない言葉や、取ってつけたような行為は、いつも以上に、すぐに見破られてしまうでしょう。

どんなに響きの鈍い子どもであっても、心に残ることが一つぐらいはあると思います。辛い思い出ではなく、喜びの思い出になるよう、支援したいものです。

そして、この日のためにというわけではありませんが、同じ喜びや辛さを共有できる感度を、日頃から私たち保護者も磨いておきましょう。

 

集団の成果である学校行事を通して、子どもたちの成長を支援するために、私たち保護者は、どのような対応をすればよいのでしょう。いくつかのポイントがあります。

 

学校行事で心がけたいこと(学校では)

① ビデオ&写真撮影は、保護者を「見ザル、聞かザル」に変身させる

ビデオやカメラは、一家に一台どころか、一人一台という時代かもしれません。学校行事では、撮影していない家庭はないのではないかという状況です。少しでもよい映像を撮りたいという気持ちから、席取りに一生懸命になり(特別な事情がある場合は別として)、自分の子どもばかりに目が行って、周りが見えなくなっている光景もよく目にします。このようなことに関連して、保護者同士のトラブルというのも必ずあり、学校とPTAがさまざまな対応を行っています。

撮影に一生懸命な親の姿も理解はできるのですが、視線を逸らさずに自分たちを見つめてくれる親の姿が子どもたちにはきっと嬉しいはずです。どちらも、一生懸命という点では同じかもしれませんが、節度をもって行動できる保護者でありたいと思います。

 

② 参観は観劇や観覧ではない

行事は、出演者・出場者だけの努力ではなく、運営者の努力だけでもなく、そこに集う参観者も含めての努力で、成功へと導くことができるものです。特に、参観意識の高さというのが、大きな鍵を握っています。

残念ながら、進行を妨げるような行為や、運営者を困らせる行為、子どもたちの能力を閉じ込めてしまうような行為などが、しばしば見受けられます。

しかし、その多くは些細なことの積み重ねや連続によるものです。そして、それらに共通するのは、自己中心的ということです。参観者は、出演者・出場者や運営者に比べ、情報がない分、一歩も二歩も出遅れた行事との関わりになるため、開催までの経緯や努力に対する認識が希薄になりがちです。当然情報量が少ないわけですから、自己を主張し行動しすぎれば理解されにくく、認められない状況を招きやすくなります。

そこで、改めなければならないのは、参観者の「意識」です。お金を払って見に行くものとは異なり、学校行事では、満足は与えられるものではありません。「満足」は、自分の力で得るものです。学校側のあいさつの中でも必ずお願いされる「滞りなく……」という言葉は、一人ひとりの力を注いでほしいという願いと、その願いが成就したことへの感謝の言葉であるということを忘れず、参観意識を高めていきましょう。

 

③「ずるい」という意識

どんな時も、自分本位ではなく周囲の状況を理解し、状況に応じて臨機応変に対応できるよう努めたいと思うものですが、これもなかなか容易ではありません。私たちが子どもたちに望みたいことの一つとして、人と比較しないということがあります。この教えは本当に難しいと、つくづく感じます。

誰しも、人との比較によって生まれる、「ずるい」と思う気持ちがあります。学校行事を参観する保護者間にトラブルが起こるのも、この「ずるい」という意識が介在していることが大半です。「ずるい」――子どもには使ってほしくない言葉のはずです。まずは、自らが「ずるい」という意識を制する努力をしたいものです。

児童の発表行事は、保護者同士のコミュニケーションが試される日でもあります。日頃、子どもたちに教えていることを私たち自身が実践して、「手本となる」という気合をもって、参加しなければならない一日です。

 

④子どもの視線を見逃さない

子どもが視線を求めれている時に視線を送らないと、視線を合わせなくなります。それは心の扉が少しずつ閉まり始めていることの表れです。子どもが自分自身で扉を閉めてしまう前に、子どもの視線が何を伝えようとしているのかを感じ取る努力が必要です。

時々、子どもの視線を気にするどころか、来校した目的は何だったのかと思ってしまうほど、保護者同士で話に熱中している姿を目にしますが、ほどほどにしたいものです。子どもが自分の幼児期だったときのことをを思い出してみると分かると思いますが、知人・友人などと会って話をし始めると愚図るということがあったと思います。子どもは、自分から注意が逸れているのがわかるのです。じつはこれが、子どもたちにとって、親に対する「不満」の表現なのです。もう幼児ではないのだからと片付けてしまうのではなく、幼児と同じ表現をしなくなった分、わかりにくくなったという認識を持って子どもと向き合っていきましょう。

 

⑤子どもたちが形成する集団を外から見守る

「参観」は、状況を把握し、評価することにあります。授業に口をはさんだりせず、出しゃばらず、冷静さをもって参観時間を過ごすことが大切です。その場で子どもに感情をぶつけるような保護者もいますが、嫌悪の表現はもちろん、賞賛の表現も、行き過ぎは子どもにとって迷惑な場合がほとんどだと思います。集団の中にいる時、大人と同じように子どもたちにも「気になるお友だちの眼」というものがあるのです。子どもたちの世界に土足で立ち入ることのない保護者でありたいものです。

 

学校行事を振り返って(家庭では)

① 子どもの目を見る

目は口ほどにものを言うという言葉があるように、目は心を映しています。特に、子どもが帰宅したそのときは、「ただいま」「お帰り」といったやり取りが日常的に行われる場面なので比較しやすく、分かりやすい瞬間です。子どもが、今日の学校行事についてどのように感じているかを覗き見ることができるはずですから大切にしましょう。

参観に不満だった場合は、子どもの帰宅を待ち構え、その姿を見た瞬間に、堪えていた不満が一気に込み上げてくることがあります。しかし、この出迎えの瞬間はとても大切で、冷静さを失わないように心がけることによって、子どもの痛んでいる心に追い討ちをかけたり、調子に乗りすぎている心を助長したりするようなことも軽減できるはずです。

 

②質問攻めにしない

学校行事があった日は、いつもより子どもに聞きたいことがたくさんあるでしょう。しかし、人は嬉しかったことや楽しかったことは積極的に話す傾向にありますが、苦しかったこと、嫌だったこと、つまらなかったことは、できれば話したくないものです。話したければ、子どもは質問されなくても自分から話します。必要以上に気をつかう必要はないでしょうが、子どもの様子を見極めて質問できるとよいと思います。

 

③ 嫌悪の表現は持ち出さない

つい、「あのとき、こうだったでしょ」と、不満やグチを子どもにぶつけたくなってしまうことがあります。これはいちばん避けたい言葉であることを、私たちは十分認識しているにもかかわらず、自分自身の中で消化できていない場合、チャンスとばかりに言葉にしてしまいます。これは、気をつけなければなりません。

 

④ 問題を見つけ解決する

学校行事をキッカケにして、自信を持てるようになる子どももいます。しかし、これをきっかけに問題を抱えて学校生活を過ごすことになってしまう子どももいます。それが、個人の努力で解決できることなのか、相互関係において解決することなのか、集団の中で解決していかなければならないことなのか、さまざまな問題があると思います。私たちは、子どもが抱えた問題は何かを確実に捉え、常に子どもに解決への道標(みちしるべ)を示す必要があります。そして、さらに、子ども自身が「できる」自信を掴めるように手助けすることは欠かせません。

 

⑤学校行事に対する評価を忘れない

学校行事は、集団で活動した成果を発表するものであるということを決して忘れてはならないと思います。舞台発表に限らず、個人作品の展示についても同じことです。一人ひとりの作品を見ることによって、クラスがどんな子どもたちで構成されているのかが、見えてくるものです。また、ふだんの子どもとの会話で聞いたことのあるお友だちの名前があれば、その子がどのような子どもなのか、意外な一面を知ることができる場合もあります。それだけではなく、子どもたちに対する担任の思いさえ伝わってくることもあります。

私たちが感じとった学校行事への評価を、子どもたちにきちんと伝えることは、子どもにとって、自分の所属する集団に対する理解力を高めることにも繋がっていきます。

 

⑥「よかったね」で終わる

「よかったね」と、最後は気持ちよく話を終えるというのが、最低限の思いやりだと思っています。これが、子どもとの会話のコツと言ってもいいのではないでしょうか。一般に、子どもたちは、精神的・経験的・経済的な意味で弱者です。ですから、親の考え方一つで子どもをとことん追い詰めることも、突き放してしまうこともできます。しかし、そこから得る心は、けっして健やかなものではないと思います。ですから、「よかったね」で話を終える心がけは、子どもの心が開かれて、次の扉に手をかけようとする自信を導き出す言葉として必要なのです。

 

⑦「これから」に繋げる

私たちの言葉が子どもに与える影響は、こちらが思った以上に大きいものです。子どもにとって、どうすれば「これから」に繋がる、意味のある会話になるのかということを考えながら、話を進めたいものです。そのためには、会話するためのシナリオが大切です。親は、子どもの成長への感謝の気持ちを持って、子どもは学校行事を「観てくれた」親への感謝の気持ちを持って会話が成立すれば、それが、親子の成長の第一歩になります。